妊活の体験談

【体験談061】不育症で2度の流産。つらい経験を乗り越えて体外受精で妊娠された30代前半女性の体験談をご紹介

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今回は30代前半で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

卵巣嚢腫や潜在性高プロラクチン血症など、さまざまな不妊・不育症の原因が重なり、2回の流産を経験されました。しかし、何度もめげずに移植に挑戦し、3回目の妊娠で無事に第一子を妊娠・出産されています。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Honokaさん(仮称)

妊活時の年齢:30代前半

妊活期間:約5年間

不妊の要因:卵巣嚢腫、潜在性高プロラクチン血症、抗ミュラー管ホルモン高値

不妊治療:タイミング法、人工授精、体外受精

治療費:100万円以上

妊活と不妊治療を開始、次々に不妊の要因が発覚していく

30代前半から、約5年不妊治療を行いました。

結婚後1年経ち30代に入った頃から、そろそろ妊娠したいと考えて妊活を始めましたが、最初は「なんとなく排卵日だろうな」という日に、特に検査もせずタイミングを取っていただけでした。

結婚後1年半を過ぎても妊娠しなかったため、不妊症治療を行っている婦人科を受診しました。当時は、結婚して2年妊娠しなければ「不妊症」とされており、私としては早めに病院へ行ったつもりでした。そのため、初診で書く問診票の「子どもができない」という項目へ丸をつけることに、とても抵抗があったのを覚えています。

この時点では、子どもができずに困っているというより、「妊娠したいので、治療で確率を上げたい」ぐらいに考えていました。

初診で、エコーを行ったところ、なんと卵巣嚢腫が見つかり、手術を勧められました。

全く予想もしていなかったことなので、頭が真っ白になり、主治医の先生に質問すべき内容も思いつかないような状態でした。ただ、緊急手術ではないので、とりあえず手術が可能な病院への紹介状を書いてもらい、不妊治療は手術後落ち着いてから開始することになりました。

手術までの間に、婦人科ではクラミジアの検査や血液検査、卵管造影検査を行いました。夫も精液検査を行い、そちらは問題なしでした。

しかし私は、潜在性高プロラクチン血症であること、抗ミュラー管ホルモンも実年齢より高めであること、卵巣嚢腫の影響で片側の卵管が癒着して詰まっていることなど、不妊に関する要因が次々とわかっていきました。

不妊治療を本格的にスタート

その後、卵巣嚢腫の手術を終え、不妊治療をスタートできたのは、婦人科の初診から4か月経った後でした。最初はタイミング法を行いました。

タイミングを取った後は、「この身体のだるさは妊娠かも?」「ちょっとお腹が張っているかも?」と妊娠への期待が高まり、生理が始まるとがっかりする、という妊活中の毎月のサイクルが始まりました。妊活をしている方は皆そうだと思うのですが、私にとってもこれが一番のストレスでした。

タイミング法の2回目から、妊娠の確率を上げるために排卵誘発剤と、卵胞ホルモンを補う薬を服用し始めました。この排卵誘発剤の味が本当にまずくて、のむのが苦痛で仕方ありませんでした。

タイミング法を3回行っても妊娠に至らないので、人工授精へのステップアップを勧められ、確率が上がるならと考えて翌月から人工授精を行うことにしました。朝仕事に行く前の夫をいつもより早めに起こし、急かして採精するのが本当に負担でした。

人工授精で妊娠するも2回の流産、不育症の専門外来へ

幸運なことにこの時は人工授精の1回目で妊娠することができました。本当に嬉しくて仕方がありませんでしたが、度々出血があり、強い不安と喜びとでジェットコースターのような日々でした。

とにかく出血しないよう、お腹に負担がかからないよう、常に慎重に生活していました。その後産科のある病院へ転院したものの、10週目の検査で心拍が確認できず、流産となりました。

この頃から数か月、街中で妊婦さんや赤ちゃん、子どもを見ると、涙ぐんでしまうので目を背けたり、テレビを見ていても子どもに関連した番組やCMになるとチャンネルを替えたりする日が続きました。

流産から3か月後、再び妊活を開始するため婦人科を受診しました。「辛かったですね。また頑張りましょう」と言われ、また頑張らないといけないのか…でもやるしかないな…と思って、泣きそうになったのを覚えています。

この時は、人工授精の段階から再スタートしました。前述した通り、人工授精は本当に負担で、朝早くからの採精がうまくいかず夫もイライラするし、私も「そもそもなぜこんなことをしなければならないんだ、なぜ不妊なんだ」と思って辛かったです。

再スタートして人工授精3回目でまた妊娠しました。嬉しいし不安でしたが、心の持ちようで何かが変わるわけでもなく、安静にする以外は自分にできることはあまりない、なるようにしかならない、と常に考えていました。

7週目の検診で心拍はあるが小さいと言われ、8週目の検診では心拍が確認できなくなり、また流産となってしまいました。

2回目の流産の際、主治医の先生から不育症の専門治療を行っている病院があるという話を聞いたので、しばらくしてから紹介状を書いてもらいました。不育症外来で夫婦ともに検査をしてもらった結果、不育症につながる可能性のある要因として私の側にいくつか異常が見つかり、妊娠した場合はそれに対する薬を服用することになりました。

体外受精で妊娠、ようやく出産へ

次に不妊治療を再開したのは、2回目の流産から約半年後でした。

やはり人工授精の段階からスタートしましたが、6回トライしても妊娠に至りませんでした。

子宮内膜が以前より薄かったり、排卵しない月が出てきたりしたので、自ら希望して体外受精にステップアップしました。この時点では、費用が高額なので体外受精は1回だけにしようと決めていました。

体外受精は、点鼻薬が処方されたり、毎日排卵誘発のための注射をうったりと、やることも多く受診の回数も増えました。採卵の処置は痛い方もいるようですが、全身麻酔行われましたので私の場合は特に痛みもなく終えました。

ただ、採卵できた数は少なく、移植を行っても妊娠はできませんでした。また、移植しなかった卵子も胚盤胞にならなかったので凍結できませんでした。

体外受精にもロング法とショート法があり、1回目に行ったのはロング法で、ショート法のほうが卵は多くできる可能性がある、とのことでした。まだまだ先があるのか、泥沼のようだと感じましたし、体外受精は1回のみと決めていたので迷いました。2か月ほど治療をお休みして考え、あと1回くらいやってみようと思えたので、再度体外受精を行いました。

ショート法で行った体外受精は、1回目よりもかなり多く採卵できました。移植した受精卵以外にも、3つが胚盤胞になったので凍結をお願いしました。移植は妊娠に至らず、また、その後仕事が忙しい時期とも重なり、2か月治療をお休みしました。

2回目の体外受精から3か月後に、凍結胚を1つ移植し、それが妊娠へと至りました。不育症外来で処方されていた薬を飲みながら妊娠を継続しました。2回流産した経験がありましたので、早めに仕事をストップして、妊娠期間中はとにかく安静に過ごしました。その後、無事に男児を出産しました。

子どもが1人できただけで本当に嬉しく、十分だとも思ったのですが、残った2つの凍結胚を処分したくなかったので、子どもが1歳半になる前に2人目の不妊治療を始めました。2つ目の凍結胚移植は妊娠に至りませんでしたが、3つ目、最後の凍結胚でまた妊娠することができました。

通算4回目の妊娠は、上の子の世話をしながらでしたので安静にしていることもできず、初期はまた度々出血を繰り返したので不安ばかりでしたが、無事女児を出産することができました。

さいごに

今妊活を振り返ってみると、不妊症かつ不育症だったにもかかわらず、結果として2人の子どもに恵まれたのは幸運だったとしか言えません。

妊活はかなり辛く、三十代前半はほぼ妊活を中心に生活が回っていました。当時は夫も私も比較的時間に余裕のある仕事をしていたために行えた治療だったと思います。

経済的には非常に痛手でした。恐ろしくて合計できませんが、人工授精、体外受精、受精卵凍結、凍結胚の移植、凍結胚の保存、薬代等で、100万円はもちろん超えていると思います。

周囲と比べたり、本当に辛いことがあったりして、何度もくじけそうになりましたが、上を見ても下を見てもきりがないので、自分にまだやれることがあって、やることが可能で、やりたいと思えたらやろう、と踏ん張ってきました。

現在妊活をしている方、これから妊活をしようと考えている方が、様々な選択肢がある中、ご夫婦共に納得のできる道を選べるよう願っています。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

 

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