妊活の体験談

【体験談079】2度の子宮外妊娠で左右の卵管を切除。それでも子供がほしい!!つらい治療を乗り越えて体外受精で無事に妊娠

体験談の画像79

今回は33歳で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

4回の初期流産を経験しており、クリニックを受診したところ、専門病院での治療を進められたそうです。2度の子宮外妊娠による手術やつらいホルモン治療を乗り越え、体外受精で無事に妊娠されました。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Misakoさん(仮称)

妊活時の年齢:33歳

妊活期間:5年

不妊の要因:黄体機能不全、血栓ができやすい

不妊治療:タイミング法、体外受精

治療費:不明

4回の初期流産をきっかけにクリニックを受診

私が不妊治療に至った経緯は現在の主人と出会った頃、結婚を前提としてのお付き合いでしたので、その頃から子供を授かる為避妊せずに性交渉をしていました。

ですが妊娠しては初期流産を4回程繰り返し、不信に思った当時通っていた大学病院の産婦人科の医師が「不妊に特化した医師が居るのでその方に診てもらった方が良い」との事で担当医師が不妊に特化した医師に変わりました。

そこから突然私の不妊治療が始まりました。その頃私は33歳、主人は34歳でした。

まさか私が不妊治療をするとは思っておらず、また突然の不妊治療の始まりでしたので「不妊治療をする」という実感もなく、主人も私も「不妊症なんだ」

というのも半信半疑でした。

タイミング法で妊娠するも再び流産

不妊治療の始まりは、毎朝基礎体温を計り、基礎体温表に記録する所からでした。今まで基礎体温を計ったことが恥ずかしながら無かったので起きたら直ぐに起き上がってしまい、起き上がる前に基礎体温計で基礎体温を計る事になかなか慣れる事が出来ませんでした。

それでも段々と慣れてきて基礎体温を毎朝計り、基礎体温表に記録して基礎体温表を医師に提示し、低温期から高温期に移行する時の体温の上りが悪いと言われ、「当帰芍薬散」という漢方薬を飲み始め、そこから「タイミング法」という「排卵日を予測して妊娠しやすい日に性交渉をする」といった治療に入りました。

タイミング法を始めてからは「排卵日検査薬」を使い妊娠しやすい期間に主人に協力しもらい性交渉をしていました。

毎回生理予定日近くになると「妊娠してるかな」と毎回ソワソワして、生理が来るとがっかりという事が何回も繰り返され、何回かタイミング法を試した所妊娠する事が出来ました。

胎嚢を確認し、心拍も確認できた時には嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。ところがある朝、丁度翌日通院するという日に鮮血で少量の出血がありました。主人に報告したところ「明日通院日だから明日相談すれば良いだろう」と言われ心配でしたが翌日の通院まで待ちました。

翌日出血があった事を医師に報告しエコーで確認してもらったところ、心拍が止まっていました。その言葉を聞いた時には頭が真っ白になりました。

医師から「一週間後またエコーしてみて、それでも心拍が止まったままなら子宮の中の物を体外に掻き出さないといけない」と言われ、「出血があった日にその直ぐ後に病院に行っていたらまだ成す術があったのではないか」と後悔してもしきれませんでした。

また、主人を恨む気持ちさえも出て来てしまいました。

帰宅してからは悲しくて悲しくて、立っていた筈なのに気がつくと主人に支えられながら座り込んでいたりする状態でした。

その日の翌日、腹痛が現れどんどん痛みが増して来ました。でも耐えきれない程では無かったので主人の帰りを待ち病院へ行ったところ、お腹の中の心拍が止まってしまった赤ちゃんが体外に出て来ている途中との事でした。稽留流産が決定した瞬間でした。

そのまま子宮の中の物を掻き出す処置を受け、物凄い痛みでしたが我慢するしかありませんでした。掻き出された赤ちゃんにガン細胞がないかそのまま病理診断へ。後日ガン細胞はなかったと説明を受けました。

その時に「不育症の可能性がある」との診断を受け、卵管造影検査や血液検査をしてもらった所、子宮の形には問題はなかったのですが、「黄体機能不全」という診断が下り、「デュファストン」という薬を処方してもらい、身体の回復を待つために半年位だったでしょうか、期間を空けてからまたタイミング法を始めました。

2度の子宮外妊娠で左右の卵管を切除

また妊娠する事が出来たのですが、妊娠ホルモンの値も上がっているのにエコーには映らないという日が続き、「子宮外妊娠の可能性がある。」との説明を受けてそのまま入院しなくていけなくなりました。主人と勤務先の上司に連絡し入院手続きをし、入院準備に一旦帰宅することさえ許可が下りず、即入院しました。

上司も「本当に!?そうか…」とショックを受け、心配してくれました。主人も信じられず、私も「そんなはずはない」と信じられなかったです。

入院してからは毎朝妊娠ホルモンの値を確認するために採血、本当に子宮内に着床していないのか、また子宮外妊娠ならば子宮以外のどこに着床しているのか確認するためにエコー検査をしました。

結果、やはり子宮外妊娠で左卵管に着床してそのまま育っており、「これ以上胎嚢が大きくなってしまうと卵管が破裂して生死に関わる」との説明を受け腹腔鏡手術で左卵管を切除し赤ちゃんも摘出されました。この世の終わりの様に気持ちが沈み涙が止まりませんでした。

辛い事は続く物で、次の妊娠もまた子宮外妊娠となってしまい今度は右卵管に着床し、育ってしまっていました。こんな事があるのかと、自分の身体を恨みました。勿論右卵管も切除。今度は前回腹腔鏡手術を受けているので内臓の癒着があるとの事で開腹手術となりました。お腹には大きな傷跡が今でもあります。

「もう妊娠出来ない」という思いばかりで泣いても泣いても涙は尽きませんでした。退院してからもずっと泣く日が続き、主人に「もう妊娠出来ない!!」「赤ちゃん出来ない!!」「私の身体は何の機能も無い!!」「女の価値がない!!」「なんで私だけなの!?」と泣きながら気持ちをぶつける事しか出来ませんでした。

体外受精を検討、夫婦で真剣に話し合う

その後の身体の回復具合を診てもらう為とは言え、「行きたくない」という気持ちを抱いたまま病院へ行ったところ、医師から「高度生殖医療という手段もありますが、どうしますか?」といった質問を受けました。その時に初めて体外受精という方法がある事を知り、それまで暗かった世界が一気に明るくなったような気分になりました。

通っていた大学病院は高度生殖医療も行っていたので、後日受精卵を培養する専門の培養士さんからどのような治療になるのか、金額はどの程度になるのかを紙面にしてもらい説明をしていただきました。そこで国からも都からも助成金が出る事を教えていただき、国と都からの助成金と確定申告の医療費控除で戻って来る金額で少し足が出る位という所まで教えていただきました。

ところがただ、体外受精をするには婚姻関係である必要があるという事、また治療は保険適用外で助成金が出るとはいえ治療を行ってからの結果を申請し、そこで初めて結果に対する助成金が出るので、それまでは実費で自己負担になるとの事でした。

そこから主人と経済面も含めての話し合いの日々が続きました。

主人は「子供が居なくてもお前が居てくれて、二人の生活で十分」と優しい言葉をかけてくれましたが、私はどうしても子供を授かりたく、体外受精をしたい気持ちでいっぱいでした。心が疲弊するほど話し合い、「一回だけで良いから体外受精にチャレンジさせて欲しい」とお願いさえしました。

話し合いの結果、体外受精をする事を決意し、まだその当時私達は入籍をしていなかったので入籍する事を決めました。

ももちゃん
左右両方の卵管を切除しても妊娠は可能なものなのでしょうか?

体外受精では体外で受精し培養したものを直接子宮内に戻すので、両卵管が無かったり、卵管閉塞の方も妊娠可能です。

体外受精の大きな問題は時間と金銭面

体外受精にチャレンジすると決意してからは高度生殖医療専門の医師が担当医になり指示を受けながらの治療が始まりました。また不妊治療をされている色々な方のブログを読み漁ったり、主人の知人に体外受精で子供を授かった方がいらしたので、その方から話を聞いたりしていました。

ただ経済的な問題で主人にお願いした通り「体外受精は一度だけ」と決めていたので慎重に、確実とは言えないですが可能性を高める為に培養士さんに教えてもらった不育症に特化したクリニックにも予約を入れ、何が原因で不育症となっているのかを詳しく検査してもらいましたが、そこの不育症に特化したクリニックは不妊治療をしている方々にはとても有名な所で予約は3か月待ちでした。

そしてそのクリニックでも保険はきかず、カードも使えず一括キャッシュで10万円と高出費でしたが、それで不育症の原因が判り対処の仕方も解れば安い物だと思いました。不育症に特化しているクリニックは、横浜にある「Sクリニック」というクリニックです。

不妊の新たな原因が判明。気持ちを入れ替えて治療に専念

検査してもらった結果、子宮へと流れる血管に血栓が出来やすくなっており、妊娠してもその血栓が子宮へと飛んで流産してしまうという事が判り、血栓が出来ないように血液をサラサラにする『バイアスピリン』を処方してもらいました。この薬は受精卵を子宮に移植した日から飲み続けるように指示されました。

体外受精するには先ず卵子が年齢相応なのか卵子年齢が高いのか、また主人の精子に問題が無いか調べたり、出来るだけ沢山の卵子を育てて採取する必要があり毎日毎日排卵誘発の注射をしてもらいに病院に通い、「クロミッド」という薬を服用したりしました。

産婦人科の中にリプロダクション外来も入っていたので、妊婦さんを見かけては「良いな~」と羨ましかったり「私も妊娠できるのかな…」と説明出来ない感情になりました。

注射や内服薬の副作用で体調が優れない日も多くなり、不妊治療に理解のある上司でしたが仕事に支障を来すほどになっておりましたので、上司に相談し退社する事にしました。それからは治療に集中するようになり、妊活に良いと聞いたルイボスティーを飲んだりとしていましたが、今思えば毎日注射を打ってもらいに通院したり副作用に悩まされる日々に相当なストレスがあったのだと思います。

突然動悸が激しくなり冷や汗をかき出し「このままだと倒れるかもしれない」といった身体の変調も出始めていました。その他は手足が冷たいのに手足に汗をかいていたりなど、様々な身体の変調で治療を始める前から体重が10kgも落ちていました。

ももちゃん
不育症に特化したクリニックについて、血栓に関する問題が検知されたかと思いますが、通常の不妊診療科とは異なる検査をされたということでしょうか?

不妊症と不育症があり、私は後者の方の可能性があるとの事で、「何が原因で妊娠出来ないのか」を調べる不妊検査とは別に、「何が原因で妊娠継続出来ないのか」をより詳しく調べる検査を不育症に特化しているクリニックで検査していただきました。

私達は不妊専門のクリニックでの治療ではなかったので、もしかしたら不妊症専門クリニックでも同様な検査が出来るのかもしれません。

採卵は無事成功

そんな中でも卵子を沢山作る為に注射も服薬も続け、育った卵子の数や状態も確認してもらい、いよいよ卵子を取り出す採卵日が決まり採卵方法の説明を受けて採卵に臨みました。採卵した後そのまま直ぐに体外受精させる為に主人も採卵直前に精液を採取。

採卵は事前に痛み止めの座薬を入れておいたり、局所麻酔もしてもらいましたが卵巣に針を刺して卵子を一個一個取り出すので力が入ってしまうほどの激痛でした。採卵が終わった後は足に力が入らず立てない位でした。

採卵結果は12個育っていると言われていた卵子でしたが実際は3個でした。残りの9個は空胞と言って卵子ではありませんでした。

「1個も取れなかったらどうしよう…」と不安だったので「3個も取れた!!」と喜びの方が大きかったです。それからは「ちゃんと受精したかな?」「成長止まってないかな?」などの不安ばかりでした。

他の不妊治療専門クリニックでは「受精確認」や「培養経過確認」など出来る所があるみたいなのですが、私が治療を受けていた大学病院ではそのような確認は無く、着床前の受精卵の状態の胚盤胞に育つまで培養を続け、それまで確認などは出来なかったので、ただひたすら祈る事しか出来なかったのはもどかしかったです。

培養の結果は3個の受精卵中1個は途中で成長が止まり、2個胚盤胞まで育ってくれました。これもまた「全滅だったらどうしよう」と不安ばかりだったので「2個も育った」と嬉しかったです。

胚盤胞にもグレードがあり、培養していただいた結果「4AA」と「3AB」の胚盤胞に育ってくれていました。ここからは胚盤胞を子宮内に移植する治療になります。ここもクリニックよって違う物だなと思いましたが、胚盤胞になるまで待たずに移植する所もあるみたいです。

採卵後も続くつらいホルモン治療

採卵後の治療

それから私が通っていた大学病院ではホルモン補充周期で血中エストロゲンが排卵期の濃度に達した時、黄体補充としてプロゲステロン製剤の内服と注射が始まったのですが色々な方のブログを拝見していた限り、注射をしている方をあまり見かけなかったので、ここもクリニックによって違う所だと思います。

採卵に向けて注射注射の毎日だったのに、「また注射するのか…」と憂鬱になった記憶があります。

移植準備を始めるにあたって、まずは卵巣が腫れてないかチェックしホルモン値を見るために採血。どちらも問題なかったので「エストラーナテープ」というホルモンを補うテープを貼り始め、日を追うごとに枚数が増え、途中からは貼ってあるテープの中の何枚かを貼りかえるというテープに日付を書いておかないと分からなくなる状態になりました。

エストラーナテープを処方してもらい、薬剤師さんから「気分が悪くなることがある」と説明を受けておりましたが、テープを貼り始めてから一週間位経った頃から吐き気が出始めました。気をつけてはいましたが一日に一回は吐いてしまう状態でした。

ホルモン補充期に入り、二週間程経ってから病院でホルモン値と内膜の厚さを確認してもらった所、基準値に達していたので移植日が決定しました。ここもクリニックによって違うところだと思いますが、ホルモン値や内膜の厚さを教えてもらえるクリニックもあるみたいですが、私が通っていた大学病院では教えていただけなかったです。

移植日決定後の治療

移植日が決定してからは、また「プロテゲポー」という注射を打ち続け、「デュファストン」という薬を飲むようになりました。デュファストンは以前タイミング法の時にも飲んでいて副作用があったので、今回は倍の量を飲むため更に酷い副作用が出るのではないかと、私も薬剤師さんも心配していました。プロテゲポー注射は打ってもらった方の腕が重たくなり、痛みもありました。

移植後は判定が出るまで不安ばかりの日々

移植当日

移植当日は移植する際にエコーで見易くする為なのか、朝の8時からお小水を溜めておかなくてはならず、苦戦した記憶があります。まずはグレードの高い「4AA」の胚盤胞を移植することになりました。

今でも保管していますが、移植する直前に試験管に入った爪楊枝よりも細い棒を渡され、「この先端に胚盤胞があった」と培養士さんに説明をして頂いたり、移植する胚盤胞の写真を渡してもらい胚盤胞の状態の説明を受けました。

胚盤胞は凍結してあり、融解してから移植となるのですが、融解時にダメージを受ける事があると調べた時にあったので心配でした。しかし、胚盤胞は融解する際に良い方へとダメージを受けており、一部孵化していました。

小さいオペ室に入り、医師と培養士さんがエコーを見ながら膣内から管を入れ、胚盤胞を子宮内に移植してくださいました。私にもエコーを見せてくれ、「この光っている所のどこかに卵がありますよ」と説明されました。

移植後の体の変化と治療

移植が終わってからはちゃんと着床するのかソワソワし、「動き回ったら卵が落ちちゃう」と変な気持ちになり、何をするにもゆっくり慎重に、という日々が続きました。移植後の体調の変化としては、胸が張ったり子宮がピクピクしたりしていました。

移植が終わってもエストラーナテープを貼り続け、注射もデュファストンや移植してから飲み始めるよう指示されていたバイアスピリンの服用も続きました。

移植してから五日目から、主人には「がっかりして落ち込むからやめなよ」と反対されましたが妊娠検査薬を使いフライング検査をし始め、薄く線が出た時は嬉しさでいっぱいになりましたが、ちゃんと着床しているか確認をする「判定日」までは不安な日々を送っていました。

陽性判定後の経過

そして判定日当日、妊娠ホルモンが上がっているか血液検査をし、数値が一定基準に達していたので、無事に陽性判定を頂き、担当医師から「第一関門突破ですね」と声をかけられました。また「陽性判定ができたので現在妊娠4週」と説明を受け、「妊娠4週だなんて初めて聞いた」と驚きもありました。

着床はした確認は出来たものの、次はちゃんと育って胎嚢があるかの診断です。診断までにまた鮮血で少量の出血や茶色のおりものがあったりと不安ばかりで、主人は「大丈夫だ」とまたさらっと言うので少し頭に来た記憶があります。体調の変化としましては、胸が張ったり、子宮がピクピクしたり、足の付け根に痛みがある、胃がムカムカする等でした。

陽性判定から10日後に胎嚢確認をしましたちゃんと子宮内に胎嚢があるのを確認できた時は「また子宮外妊娠しているかもしれない」と不安でいっぱいだったので思わず号泣してしまい自分でも驚き、主人も医師も驚きました。

同じ大学病院内でカルテは共有されていて、担当医師も勿論今までの経緯を把握しているので「私はきっとうまくいくと感じていたけど、良かった!」と仰ってくださり、また号泣しました。

胎嚢の大きさが10.7㎜と少し小さいかなと思いましたが、医師が「今日はパッと見て見えれば大丈夫」と仰ってくださったので安堵しました。

次は10日後に心拍確認です。また不安で押し潰されそうな日々が続き、その間も注射を打ってもらいに通院していました。少量の出血があったりするとその都度エコーで確認してもらいました。とある注射を打ってもらう日にまた少量の出血があったことを告げ、またエコーで確認してもらった所、心拍確認日を前にまさかの心拍が確認されました。

担当医師は「これは見慣れていないと判らないけど、私にはちゃんと見えているので大丈夫です」と心強い言葉をかけくれ、エコーまで見せてくれて心拍がピコピコとしているのを見た時は、感動しました。

胎嚢確認から5日後だったのですが、「たった数日で、こんなに大きくなるものなんだな~」と不思議な感覚になりました。

その日から18日後プロゲステロン値がどの位上がっているのかを血液検査をして確認してもらいましたが、もともと黄体機能不全という診断が下っておりましたのでそこまで期待は居りませんでしたが、やはり数値が上がっておらず、ホルモン注射も継続。

医師にも「今日で私から卒業かなと思っていたけどもう少し様子見させてね」と言われました。黄体機能不全が関係しているのか質問したところ「関係あるかもしれないね」との事でした。

その日から5日後にまた採血をしてホルモン値を見るとの事でしたが、プロゲステロン値が上がりやすいサプリはないなか調べ、慌ててビタミンEのサプリを飲み始めました。そのサプリが良かったのかプロゲステロン値も上がり、とうとうリプロダクション外来卒業となりました。

おわりに

その後順調にお腹の中の赤ちゃんは育ち、無事出産。今では1歳3か月になります。

私たちは1回の体外受精で奇跡的に子供を授かる事が出来ましたが、それでも不妊治療を始めてから5年という期間がかかりました。

2人目も考えましたが、主人との話し合いの結果、残りの1個の胚盤胞がまた確実に出産まで行く保証もなく、その奇跡を信じてまた治療をするよりも今目の前居る我が子に沢山の愛情を注いだ方が良いという事、あとは経済的にも厳しいという結論に至り、私達の不妊治療は終わりました。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

 

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