妊活の体験談

【体験談011】2人目をなかなか妊娠せず妊活のプレッシャーから夫は浮気。ただいま顕微授精中の方をご紹介。

体験談の画像011

今回は20代後半で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

1人目を授かり婚という形で妊娠するも2人目をなかなか妊娠せず。妊活のプレッシャーから旦那様もEDのように。

現在は顕微授精をして結果を待っているとのことです。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Yasuさん(仮称)

妊活時の年齢:20代後半

妊活期間:約1年半

不妊の要因:原因不明不妊

不妊治療:人工授精、顕微授精

治療費:不明

 

20代前半から通っていた産婦人科

私は20代前半から産婦人科に通っています。もともと生理不順の私は、年に18回きたこともありました。ですが、10代の頃はそれが普通とか、10代で産婦人科に行く勇気がなかったりして放置していました。20歳ぐらいの頃、貧血が原因で低用量のピルを飲み始めました。ピルをもらいに産婦人科に行った際に、子宮が普通の人より小さめかもしれないと言われました。当時はへぇ~ぐらいにしか思っていませんでしたが、母は私に子供ができるのか不安だったようです。他にも先生に何かと言われていたので、だんだん私は将来不妊になるのでは?と思うようになっていました。

授かり婚の形で第一子を出産

そんな私も25歳になった頃、結婚を意識する彼ができました。1歳上の彼はとても子ども好きで、彼の子を産みたいと思い始めます。ゴール(プロポーズ)は1年後と言われていたので、その日をわくわくしていたのと同時に、彼の子を産むことができるのかと不安もありました。そしてずっと飲み続けていたピルを止めました。

無事にプロポーズをしていただき、両親の顔合わせの日程を決めようとしていた矢先、毎日眠いことが続き、体調が悪かったため検査薬をしてみたところ、見事『陽性』。籍を入れる前だったこともあり、授かり婚のようになってしまいましたが、私はすっごく安心したのを覚えています。私は自然妊娠できるんだ!彼の子を産むことができるんだ!と嬉しさでいっぱいでした。悪阻はひどく、出産時でさえ嘔吐するぐらいでしたが、生まれてきてくれた我が子は天使でした。

二人目を希望するも妊娠しない日々

子どもは2学年差を希望していたため、娘が1歳半前ぐらいから妊活を始めました。ちょうど2018年7月頃だったと思います。最初はとくに排卵日なども気にせずにしていましたが、これがなかなかできません。10月頃からアプリを使うようになりました。旦那にはプレッシャーをかけたくなかったのと、義務的になるのが嫌だったため排卵日を教えることはしていませんでした。なので、いつも私だけが頑張っているような気がしていたし、生理がくるたび私だけショックを受けていたように思います。

いつの間にか妊活を始めてから半年が過ぎようとしていました。急に焦り始めた私は、基礎体温計を購入。ちょうどその月に妊活を始めてから初めての『陽性』になりました。フライング検査だったこともあり、次の受診日までドキドキして過ごしました。旦那にもサプライズで教えてあげようと思っていましたが、受診日前日の夜、出血が始まってしまったのです。当日も出血は続き、病院でも妊娠は確認できませんでした。

いわゆる化学流産。化学流産は妊娠とカウントされないことも知り、ショックでいたたまれない気持ちになりました。その日の夜は、元気のない私に旦那が気付き、どうしたのか聞かれてから、プツンと何かが切れたかのように、涙が止まらなくなりました。そんな私を旦那と子どもが慰めてくれて、なんとか元気を取り戻すことができました。その1ヶ月後には排卵検査薬とシリンジ法キットも購入しました。シリンジ法キットは、旦那が疲れている時や飲み会の時など、タイミングが取れなさそうな日に使用しました。一人目が自然妊娠だったこともあり、なかなか病院へ行くきっかけをつかめずに過ごしていました。

妊活を始めて10カ月、病院へ行くことを決意

そして妊活を初めて10ヶ月がたった頃、ついに病院へ行く決心がつきます。一人目を産んだ病院で不妊外来もあったので、そこで検査等をしてもらいました。ですが、原因は不明。旦那も私もいたって普通だったのです。じゃあなんでできないの?と頭の中が?でいっぱいでした。不妊のことについて携帯でいろいろ調べる日々。ですが、旦那は携帯ゲームの日々。どんどんなんで私だけ…と思うようになりました。病院ではタイミング指導をしてもらうことになったのですが、このタイミング指導で私の人生は大きく変わることとなるのです。

妊活を初めて11ヶ月。ある日旦那が浮気しようとしていたことを知るのです。たまたま私が気づいた為、未遂ですみました。ただ、理由は自分がEDになってしまったのかと思ったとのことでした。たしかに最近最後までできない日もありました。そして私も妊活で焦っていたこともあり、プレッシャーをかけてしまっていたのです。やっぱ排卵日教えるのダメだね。とか、あからさまに残念な顔をしてしまっていたように思います。浮気するタイプでもない旦那がここまでしてしまったこと、確かにダメなことだし旦那が悪いのですが、明らかに私のせいでもあると思いました。ずっと私だけが辛いと思っていましたが、旦那も同じぐらい辛かったんだ。なんで気付いてあげられなかったんだろうと自分を責めました。その日はお互いいろいろな思いを語り合いました。旦那はとても反省してくれて、その日からかなり妊活へ積極的になったようにも思います。そして、病院は一旦中止することにしました。基礎体温も排卵検査薬も全て止めました。お互いストレスフリーになろう。そうしたらまた自然と赤ちゃんがきてくれるかもしれない。そう思うようになりました。

不妊治療の開始

それから3ヶ月ぐらいたった頃、旦那の職場でベビーラッシュが始まりました。旦那にもう一人子どもの顔を見せてあげたいと思い、一度不妊治療専門の病院に行き、卵管造影をしてもらうことにしました。卵管造影をしたあとは半年間ゴールデン期と言われており、妊娠しやすいと聞いたからです。

さっそく私は姉が通っていた不妊治療専門の病院の予約を入れました。初診はなんと2ヶ月待ち。幸いにも私には不妊治療の話ができる友人と姉がいました。いろいろな話を聞いていて、卵管造影の痛みは個人差があるみたいと教えてもらいました。ドキドキしながら卵管造影に挑みましたが、結果は全く痛くなく、すごくほっとしたのを覚えています。

それからの半年間はタイミング指導をしていただきました。その間にも、いつも起きない娘が起きて、寝かしつけ中に旦那が寝てしまい、せっかくの排卵日なのに…と悲しくて泣いた日もあります。

私の場合、残念ながらゴールデン期に授かることはできませんでした。その後、再度卵管造影をし、人工授精へステップアップすることを決めました。というのも、私はAMHがとても低いことを知ったのです。30歳にして、0.27。46歳以上の数値が出ました。このままだと35歳で閉経するかもとも…。しばらくショックで携帯で検索をする日々が続きました。

人工授精、そして顕微授精へのステップアップ

人工授精へステップアップするも、かすりもせず5回目を迎えました。先生に黄体機能不全かもしれないと言われ、注射と薬を始めました。また、人工授精6回目。今回も生理は当たり前かのようにきてしまい、先生に今度はピックアップ障害かもと告げられました。その為、腹腔鏡手術をするか、体外受精へとステップアップするかの二択を進められ、私は体外受精を選択しました。そして、少しでも確率を上げたかった為、顕微授精をすることにしました。

1回目の採卵。2個取れましたが、どちらもダメになってしまい、再度採卵からすることになりました。薬や自分でお腹に注射を打つ日々。精神的にも少しずつダメージがありましたが、妊活当初の私に比べると、なぜかストレスは減ってきたように思いました。それはたぶん、旦那が以前にも増して協力的になってくれたからかもしれません。

2回目は4個採卵することができ、2個凍結することができました。これから私は初めての顕微授精をすることになります。あとは無事に着床してくれることを祈るのみです。

さいごに

今回2人目不妊になって、人生で一番泣いたように思います。いつもポジティブ思考の私でも、不妊治療はなった人にしかわからないような感情だったり、痛みだったり、たくさん嫌な思いもしました。ですが、もし授かることができたなら、頑張ってきたぶん、想像もできないような幸せが待っているような気がします。そして何より、旦那の協力が私にとっては一番大事だったように思います。妊活も子育ても、どちらかだけではなく、夫婦で協力しあわないと成り立たないことなんだと改めて実感しました。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

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