妊活の体験談

【体験談036】すぐに妊娠できると思っていたのに!どん底状態の甘くない妊活を乗り越えて人工授精で妊娠された30代前半女性の体験談です。

体験談の画像36

今回は31歳で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

なかなかうまく行かない妊活や、妊活と仕事の両立に苦労されたそうです。流産や治療による子宮筋腫に落ち込むこともありましたが、人工授精で無事妊娠され、今は妊娠生活をエンジョイされています。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Ayumiさん(仮称)

妊活時の年齢:31歳

妊活期間:約2年間

不妊の要因:右卵管の詰まり

不妊治療:タイミング法、人工授精

治療費:不明

甘く見ていた妊活

私29歳夫33歳で結婚し、そのうちできるだろうと思っていた子ども。

元々望んでいたので、いつできても構わないと思っていたのですが…。1年経ってもできない!!

よく、授かり婚なんて言葉が世の中に出回っているのだけど、一体みんなはどれだけ積極的に子作りに励んでいるのだろうか。私だって、生理は遅れても1週間だし、来なかったことはなくほぼ順調、婦人科なんて罹ったことなかった。それなのに何故。

確かに夫との性生活は私自身の仕事がシフトで残業も多く不規則だったこと、夫は性欲が(なぜか)あまりなかったことが重なり、一般的な新婚夫婦に比べれば回数はかなり少なかったけれど、一応ルナルナとかで排卵日狙ってたりしたし、ドゥーテストの排卵検査薬で排卵数日前を狙ってタイミングをとってはいたのになぜ。

私は完全に妊活を甘く見ていました

不妊治療生活のはじまり

検索魔の私は、よくインターネット等で「健康な夫婦が1年経っても妊娠できない場合は不妊症」とか、「子どもを授かるには女性の年齢が極めて大事」とかいう記事を読んでいたので、このまま行動しないでいたら時間だけ確実に経って何も始まらない!と思い立ち31歳ころから不妊治療を開始しました。

最初はどこの病院に行ったらいいのか全くわからず、駅からアクセスのいい、会社の健康診断で行ったことのある婦人科へ行ってみることに。そこでは初めての人が妊娠できるカラダなのかを調べる基本的な項目である血液検査・経膣エコー・おりもの検査・卵管造影検査を実施しました。

結果、卵管造影検査で右側の卵管が詰まっていることが発覚。予想外の結果にかなりショックで少し落ち込みましたが、先生に不妊治療専門病院へ行ってみることを勧められ迷わず紹介状を書いてもらうことにしました。

こうして私の約2年という長い?短い?不妊治療生活が始まるのです。

人工授精そして流産

不妊治療専門の病院では、婦人科で行った検査と同様まず不妊の原因となる要素があるのかもう一度検査しました。

問題だった卵管も、再び卵管造影検査を実施することにより、なんと詰まりを解消することができました。どうやら、卵管造影検査は検査の意味もありますが、造影剤を入れることで詰まりが解消する治療の意味もあるようでした。なお1回目の卵管造影検査は水性のものを使用しましたが、油性のほうが卵管の詰まりが解消しやすいらしく、2回目は油性の卵管造影検査を行いました。

卵管の詰まりも解消し、特段不妊の原因もない状態となった私は、31歳と年齢的にまだ若い方だったので、不妊治療の基本的なステップ通り治療がスタートしました。

まずは、タイミング指導。経膣エコーで排卵日をより確実に見極めてもらい、夫と予定を合わせてタイミングをとる。これを3か月ほど繰り返しました。が、結果はできず。正直早く次のステップに進みたかった。今思うと、そのことを先生に伝えておくべきでした。

次に、人工授精。これは私の排卵日に合わせて病院に夫の精子を持参し、白血球やらなんやら無駄な成分を取り除き、元気いっぱいの運動精子だけの、選りすぐりの精鋭部隊にして直接子宮に注入する治療。なんと一回目の人工授精で妊娠することができました

「なーんだ意外にすんなりできたな」と喜んでいたのもつかの間。妊娠7週で稽留流産発覚。この前のエコー検査で心拍確認できてたのに…。まさか自分が流産するなんて。全く想像もしていなかった結果に号泣したのを覚えています。数日後、日帰りの流産手術をし仕事を休みました。

シフトだったので仕事はすぐ休めたのですが、「あなたが休んで他の人が出勤した分、ほかの日いつ出勤できる?」そう職場の上司に言われたときから、仕事への不満・ストレス・妊活との両立の難しさを感じ始めていたように思います。

有名人気病院への転院

はじめての流産ののち、またいつかできるだろう、体外受精までしなくても私のからだは大丈夫だという変な自信?期待?をもってしまっていたせいで、気が付けば合計8回も人工授精に挑戦して不妊治療生活も1年が経とうとしていました。

途中3回目の卵管造影検査を挟んでみたり色々試してみたのですが、毎月変わらず生理がくることに苛立ち、結果がでないまま時間とお金だけが確実になくなってゆくことに焦りを感じていました。

病院に行くのも嫌になり、先生の顔をみるのも嫌になり、LINEで来る友達の妊娠報告に返信できずにいた毎日の中、ついに病院を変えてみる決断をしました。1年以上通っていた病院には申し訳ないため紹介状を書いてもらうお願いはできずに、突然地元では有名な人気の別の不妊専門病院へ足を運んだのです。

体外受精失敗、そして妊娠

新しく変えた病院では、最初から体外受精を勧められました。

自然妊娠への諦めと覚悟を決めていた私は、すんなり承諾。70万円~100万円コースのお買い物をすることに決めました。これで赤ちゃんが我が家にやってきてくれたら安いもんだと。

排卵誘発の自己注射や薬の量は、ただでさえ多かった仕事のストレスと相まってかなりの負担でしたが、期待に胸膨らませて採卵・移植に挑むのでした。がしかし、受精卵は2つしかできず、チャンスは2回。1回目の移植は失敗に終わりました。誰を責めることもできない、辛い現実でした。

このころ私は仕事もやめました。妹の妊娠報告も重なり、神様はなんて意地悪なのだろうとかなり落ち込みました。排卵誘発の注射の影響で子宮筋腫もできており、私の妊活はどん底の状態でした。夫とも話し、犬を飼えるマンションに引っ越そう。そう決めました。

妊活は半ばあきらめかけて、引っ越しの準備に一生懸命になっているころ、ダメ元で試した人工授精で妊娠が発覚

私32歳、夫37歳で第一子を授かることができました。現在妊娠9か月。日々感じる胎動を愛おしく思い、無事に会えるその日を楽しみにしています。ちなみにもう一つ残っている受精卵は現在凍結保存しています。第二子の時にまたお世話になる予定です。

不妊治療中のこころの支え

私の場合、幸いにもこころの支えになってくれる人はたくさんいました。

実母・義母・不妊治療仲間も親身になって私の話を聞いてくれました。中でも夫には精子提供や検査の協力、金銭的な援助の他に「焦らなくても大丈夫」「いつかきっと赤ちゃんがきてくれるよ」「もしできなくてもこのままでも俺は幸せだよ」「またダメだったのか、俺も悲しいよ、辛い気持ちは俺も一緒だからね」などなど優しい言葉をたくさんかけてもらいました。

辛い不妊治療を乗り越えてここまでこられたのも、そうした周りの支えがあったからこそだと思っています。これから妊活を始める方や今不妊治療中の方もどうか周りのひとをたくさん頼ってください。自分一人で抱え込まないでください。そうすればきっと、きっと明るい未来が待っているはずですから。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

 

 

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