妊活の体験談

【体験談017】不妊治療によるストレスが妊娠を妨げる悪循環になることも。妊活の辛さを乗り越えて無事妊娠を果たした20代女性の体験談。

体験談の写真17

今回は27歳で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

多嚢胞性卵巣が原因でなかなか卵胞が育たず、また病院との相性の悪さや辛い治療でストレスを抱え込むことも多かったそうです。

しかし、妊活にはストレスのない生活が大切だと気付き、また2回の転院で良い先生に巡り合えたことから、無事妊娠することができました。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Kaedeさん(仮称)

妊活時の年齢:27歳

妊活期間:約9カ月

不妊の要因:多嚢胞性卵巣

不妊治療:投薬治療(服薬、自己注射)

治療費:不明

 

27歳で妊活を開始

私、夫ともに27歳の時に妊活を始めました。入籍から1年後に結婚式やハネムーンといったイベントを終え、私自身はすぐに子どもを意識し始めました。何故なら、初潮が10歳と早かった私は、そこから生理周期が40日〜50日と安定することなく、自分が妊娠できるのか不安だったからです。産むなら若いうちから妊活に取り組みたいと考えていました。

まずは、3ヶ月自分なりに体調を観察するところから始めましたが、基礎体温のグラフはガタガタ、排卵検査薬は一向に反応せず、途方に暮れました。
勇気を出して婦人科にかかり、診察してもらうと、多嚢胞性卵巣気味で、卵胞を自力で育てにくい体質であるということでした。

病名がついたことに大変ショックを受けて、ネットで検索をしてみると、体外受精まで進んでいる方も見受けられ、そんなに大変なことなのかと、帰りの電車の中、一人で泣きました。

妊活が上手くいかないことがストレスに

出来るだけ自然に授かりたいということで、まずはタイミング療法から始めることになりました。セキソビットを処方され、服用を始めました。夫は治療だなんて大袈裟な、という態度でしたが、通院に関しては何も言いませんでした。

最初の服用では、卵胞が育ち嬉しく思っていたのですが、その後、複数育ってしまい、多胎妊娠を避けるためタイミングを見送ることになりました。多嚢胞性卵巣では、卵胞が沢山詰まっている分、服薬の加減が難しいそうです。その頃の私は何故だかとにかく焦っていて、通院の結果に一喜一憂していました。夫の転勤で仕事を辞めて専業主婦となり、妊活のことばかり考えていたのが良くなかったのかもしれません。

2回目は、卵胞が育つまでに時間はかかりましたが、なんとか排卵まで漕ぎ着けることができました。タイミングをとって欲しいと夫にお願いしましたが、プレッシャーなのか、途中で出来なくなってしまいました。後で振り返ると私も悪かったのですが、夫の前で泣いてしまいました。私はこの日を待ち侘びていたのです。普通の女性が14日で排卵するところを、私は薬の力を借りても30日近くかかるのですから。ひと月も卵胞のことを考えていたのです。

ベストなタイミングでは出来ませんでしたが、なんとか排卵日周辺でタイミングをとりました。結果はダメでした。

3回目も同じようなことの繰り返しでした。夫に泣きつきました。一周期に幾度となく病院に足を運び、やっと良いタイミングが来たのにどうして、と。夫は仕事も多忙で、私にも泣かれ、辛かっただろうと思います。真剣になってくれる気配がなく、腰が引けているように見えた夫に、「あなたの子どもが欲しいの!」と必死に訴えかけました。「俺だって欲しいよ」と小さく泣きそうな声で言った夫の言葉が今でも耳に残っています。

会社の人の子どもをあやす夫は、とても優しかったです。そうか、この人も子どもが好きなんだな、と思いつつ、自分の問題を解決しようとしない姿勢を見て苛立ったり、言い過ぎたと反省したりする日々でした。シリンジを購入して試してみたこともありましたが、授かることはありませんでした。

転院後も辛い治療の日々

排卵までに時間がかかるのに、医師が毎回同じ方法で治療を進めていくタイプだったことに焦りもありました。人気のクリニックだったこともあってなのか、私の治療歴を全く覚えていないことにも不信感が募りました。もっと自分の体を調べてほしいと思い、不妊治療専門のクリニックに通うことになりました。

夫もなんとか説得して精液検査をしてくれることになりました。結果的に問題はなく、安心すると同時に、じゃあ私が頑張らないといけない、とますます気負ってしまいました。

そこのクリニックでの治療期間は最悪の日々でした。まずは痛いと言われている通気検査。経験談を読み前の晩は緊張で眠れず、それでもなんとかこなしました。その後は服薬ではなく、いきなり毎日の自己注射を勧められました。お腹に打つのが怖くて、でも赤ちゃんに会うためには頑張らないと、と懸命にやりました。漢方も勧められ、飲み始めました。

夫は、え?そこまでしないといけないレベルなの、と引いてしまっていたように思います。そこまで頑張ったのに、なんと卵胞は全く育ちませんでした。エコーにうつる縮んだままの卵胞に、悲しさが押し寄せてきて、医師に「前のクリニックでは服薬で育ったんですけど、それではだめですか」と尋ねました。

すると医師は、自分の治療方針を否定されたと思ったのか、「注射が嫌だとか、わがまま言うんじゃない。注射で育たないのに服薬で育つわけがない。旦那さんには問題ないし、あなたの方が病気なんだから。普通には妊娠できないんだから」と私を叱りつけました。多分、新しい治療や医師の言葉、全てがストレスだったんだと思います。その周期は生理すらちゃんと来ませんでした。

初心を振り返り、体質改善から再スタート

あまりにも辛く、実家に帰った時に全てを打ち明け、家族の前で泣いてしまいました。妹は一緒に泣いて慰めてくれました。母は憤り、「そんな薬漬けにされているから良くないのよ。一回、全部辞めなさい」と言いました。

注射、漢方、サプリメントや葉酸。全部辞めました。もうこんなクリニックは嫌だと転院の手続きをする時も、母は心配して私についてきてくれました。私はこんな優しい母に憧れて、お母さんになりたかったんです。家族で賑やかな夕食の時間を過ごしたり、プールや遊園地に行って遊んだり、私の大好きな家族を、私も作りたかったんです。初心を思い出しました。

出来るだけ自分の力で排卵させよう。でも、どうしても体質は変えられないから、そこだけ薬に頼ろう。そう思い、ウォーキングや、雨の日は家でDVDを見てエクササイズをすることにしました。

必要な栄養素もサプリメントではなく、出来るだけ食事からとるようにしました。普通体型ではありましたが、20歳の時には自分自身もっと痩せていたこと、母が妊娠していた時は自分よりもっと痩せていたことを考え、自己判断にはなるのですが体重を絞りました。下半身の筋肉量が卵巣の働きに関係があるらしく、下半身を中心に鍛えました。

多嚢胞性卵巣には糖質コントロールが効くことも知り、毎日のように食べていたケーキなどの甘いものを控え、野菜や玄米やブランパンを取り入れました。運動すると、気持ちがすっきりする気がしました。

9ヵ月でようやく努力が実を結び妊娠!

転院先の医師は優しかったです。細かく体を調べてくれ、クロミッドを処方してくれました。すんなり、卵胞が育ちました。

「今は二人の時間を楽しめばいいよね。」と、夫婦間でカリカリしていた緊張が解け、その周期の排卵日はお風呂にも入らず、何の構えもなく夫となんとなくしました。高温期の時期も、春先ということもありガーデニングを始めたり、夫と日帰り旅行をしたりしてゆったりと過ごしていました。

なんだかお腹に来てくれている気がする、そう思った時には妊娠していました。

妊活期間は9ヶ月、治療期間は半年と短い方だったとは思いますが、私にとっては大変な時間でした。

ストレスを溜めないことが妊活のコツ

私は確かに多嚢胞性卵巣です。でも、一番大切だったのは、私と夫のメンタルの部分だった気がします。

ストレスが一番、妊娠から遠ざかる元でした。心身ともに健康的な生活がベースにあって、その上で自分の体質と向き合い、必要なところは治療を受ける。そんな当たり前のことが、当事者になってみると冷静にはなれず、もがいてしまっていました。

1人目出産後、夫は育児に協力的で毎日が楽しく、慣れない育児で体力的にはしんどかったのですが、出産前よりも生理周期が整い、話し合うまでもなく2人目を妊娠できました。本当にありがたいことだと思います。

夫や家族と良好な関係を築くこと、信頼できる医師を見つけること、新しい趣味や場所に行ったりしてリフレッシュすること、力を抜くこと…それが妊活のコツだと思いますし、妊活でしてきた経験は私の中で大切な学びとなりました。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

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