妊活の体験談

【体験談089】顕微授精5回で3度の流産。肉体的にも精神的にもつらい治療を乗り越えて妊娠された不妊症&不育症の妊活体験談です。

体験談の画像91

今回は30代半ばで妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。

タイミング法からはじまり、さまざまな不妊の原因を乗り越えながら顕微授精で3回の妊娠を経験。しかしすべて流産してしまい、不育症の検査を勧められたそうです。不育症の原因を取り除く治療を行った結果、無事に妊娠・出産されました。今は二人目の妊娠中だそうです。

ぜひ最後までお読みください。

プロフィール

名前:Satikoさん(仮称)

妊活時の年齢:30代半ば

妊活期間:不明

不妊の要因:潜在性高プロラクチン血症、NK細胞高値、精子が少ない

不妊治療:タイミング法、人工授精、体外受精、顕微授精

治療費:300万円以上(詳細不明)

30代半ばからの妊活

私達夫婦は、20代後半で出会い30代半ばで結婚した晩婚夫婦です。

夫は元から子供はあまり欲しくないタイプで私自身は子供が苦手でした。だけどそんな私も年齢が高くなるにつれ女性は妊娠できる期限があるのだから子供を欲しいと思うようになり、二人でタイミングから始めます。その時は40代で出産する芸能人も多いし大丈夫だろうと深く考えていませんでした。

だけど治療を始めると沢山の事に悩んだり辛い思いを経験するとは夢にも思っていなかったのです。そして妊娠への理解不足を痛感し、タイミング、人工授精、体外受精(顕微受精)とステップアップする迄あまり時間はかかりませんでした。

受診の経緯

私は若い時から生理痛がひどく学校や仕事に支障が出る程だったのですが、産婦人科の診察は恥ずかしくてとても耐えられないだろうと思い、痛み止めを飲んでやり過ごしていました。30半ばに差し掛かり妊活を意識し始めた頃に生理が重く経血も塊が目立つようになりやっと近所の女医のみの産婦人科へ行くことにしました。

結果はいくつかの子宮筋腫があったのです。今後妊娠に影響はないか尋ねるとタイミング取って1年出来ないなら不妊症の可能性はあるけど…と言われました。私はまだその時タイミングをとってなかったのです。年齢もそれなりに高いけどやはり1年トライしないといけないのだと思いました。

それから間もなく基礎体温を測り生理管理のアプリの排卵日を合わせながらタイミングを1年ほどとるようにしました。だけど夫との意欲の温度差が大きく険悪になる事もしばしば…。

せっかくの排卵日なのに、疲れているから明日に欲しいと言われたり。本来ならタイミングも排卵日の少し前から3日ぐらいとると良いと言われているのに毎回1回のみでした。内心協力的ではない夫にイライラしていました。(今思えば毎月タイミング!タイミング!とプレッシャーをかけて悪かったと反省しています。)

季節は冬で朝方トイレに起きてしまう事も多く起きて必要最低限しか動かず測るはずなの基礎体温、正確に測って居ない気がしていました。実際グラフにしてみても綺麗な2層にはなっていなかったのです。

1年を過ぎた頃もう詳しく検査したいと、もう一度同じ産婦人科を訪ねました。今度は別の先生で一通り話した後に、年齢もあるし少しでも早く欲しいよねと言われハッとします。もっと早く来ても良かったんだと。そしてある程度の検査をする事になりました。MRIによる子宮筋腫の検査、卵管造影、精子の検査、その後は子宮鏡を。

検査の結果、人工授精にステップアップ

MRIは狭い機械に入り終わるまで少し時間がかかりました。耳栓はしますがそれでも使用中の音は大きかったです。結果筋腫が子宮の筋層内に出来ている物が大きく妊娠に影響はないと思うけど、今後別の病院に行く機会があれば他の先生にも診てもらってと言われました。

卵管造影は造影剤を使って卵管の癒着などがないか調べるのですが、とても痛い人もいると聞いていたので痛がりな私は不安でたまりませんでした。痛み止めとしてボルタレンの座薬を使用してから撮影で、レントゲン台に仰向けになり子宮に管を入れそこに造影剤を注入。怖くて少し震えたのを覚えています。

痛みは生理痛のような感じでこの時は卵管の問題ないと。卵管造影はすぐ出来る検査をではないので生理が始まってから予約をとります。不妊治療を始めてから何をしても生理が始まるのを待ってからという事が多いので治療が長ければ長くなる程気持ちは焦りました。費用は5000円位。

夫も精子の検査をするのですが卵管造影の結果を聞く日の朝にタイミングを取り、内診した後に精子がどれぐらいるか調べるフーナーテストでした。結果は元気な精子が見当たらず、頭が双頭のものや顎の部分にあたるような部分が膨れている奇形やその場に留まって進まない精子など。自然妊娠は厳しいからと人工授精を勧められます。

その時原因は夫にあったんだと内心ホッとしたのと同時にそれなのに協力的じゃなかった事にまたイライラが募りました。造影検査の後は卵管が通りやすくなり半年ほどゴールデン期間があるので妊娠できるかもしれない!と期待に胸が膨らみました。

人工授精について

生理が始まると病院へ予約を入れ、ここから先は割とこまめに卵胞や子宮内膜のチェックが入ります。内膜が薄ければ飲み薬を処方され排卵しそうな卵胞が育っていたらいよいよ人工授精へ。当日に病院から渡されたカップに朝採精して持っていきます。出来るだけ早く持って行くのが良いようでタオルに包み胸の中に入れて持って来てくださいと言われたのでその通りに向かいました。

より詳しく調べた精子は運動率奇形率など書かれたデータが渡されました。あまり良い結果ではありませんでしたが、毎回悪いとは限らない様です。診察台に乗り精子を子宮へ戻した後しばらく腰を上げて数分休み終わりました。痛みや不快感は気にならなく、その後確実に排卵するように筋肉注射を打ちますがこれは痛かったです。出来ればその日の夜にもう一度タイミングをとってと指示を受け終わりました。費用は2万円位。

結果は生理がきてしまいその後2回人工授精をする事になります。2回目の生理が来た時に子宮鏡の検査を勧められてました。麻酔なしで細いカメラで子宮を見るのですが、先生に少し子宮を引っ張りますと言われてからものすごい痛みで思わず息が止まります。麻酔や痛み止めが無かったのもありますが瞬間的な痛さではこの先の不妊治療を含めてもこれが一番でした。

小さなポリープがありましたが着床には大きな問題はないように思える、そして卵管への入り口も塞がっていないとの事。人工授精の精子のデータは自然妊娠可能な数値の時もあったり差は大きかったです。3回目の時に先生からここから先は回を重ねても成功率は上がらないから早めにステップアップした方が良いと言われあと1回チャレンジする予定でした。

肉体的にも金銭的にもつらい体外受精

でも4回目の人工授精は出来ませんでした。卵胞の確認をしに行った時、排卵しそうな卵胞が見当たらなかったからです。先生から何か大きなストレスでもあったの?と言われ思い出してみると、少し前に両親の大げんかに巻き込まれ離婚騒動に発展して連日振り回されました。毎日電話でうんざりする程。原因がこれ以外に思い浮かびません。確かに物凄いストレスでしたが、こんなにストレスというものが身体に影響するのかと驚きました。

その後、私は体外受精をしている病院を探す事になります。この頃は仕事をしながら治療をしていたので、良い病院でも遠いと通うのが大変なので出来れば近くで可能な病院を見つけたいと思っていました。年齢が高くても受け入れをしてなおかつ出産してる人が多い病院があったのです。

人工授精と違い体外受精の治療は肉体的にも金銭的にも精神的にも本当に辛く苦しい日々でした。仕事も休みばかりで続ける事は不可能になり治療に専念をします。その病院では採卵2回、6回の体外受精をするのですが流産を3回を経験します。けれど私が出産にたどり着くことはなかったのです。

治療を進めるにつれて私には合わない病院だったのですが、培養士の技術がよく胚盤胞になる数も多く悩みながらも治療を続けました。総額にして300万ぐらいを治療に費やしたと思います。ざっくりですが採卵から移植まで90万移植のみ30万、その他必要な薬や検査を含めるトータル300万ぐらいでした。

支払いが5万円ぐらいだと今日は安いなと金銭感覚は麻痺しました。クレジットカードすぐ限度額がオーバーしてしまい、カード会社に問い合わせをして限度額を上げる事にもなりました。

体外受精前の検査でさまざまな原因が判明

電話で予約をして初回は夫婦で行きます。院内は静かな音楽が流れているのですがなんとも言えない物々しい雰囲気で、小声で話すことすら躊躇われました。夫婦の採血や私の検査をした後に院長と会い挨拶をしました。その日は空いているからと初回で体外受精のインフォームドコンセントを受けました。その日の支払いははっきりと覚えていないのですが10万近くかかっていたと思います。人工授精とは桁違いの金額で不安になりました。

その後しばらく色々な検査をしていくつもの事が分かりました。私自身は、潜在性高プロラクチン血症と血液凝固の検査で固まりやすい、NK細胞高値。そして少し前受けた卵管造影で片側が閉鎖気味というものでした。夫の精子はやはり数が少ない様でした。私自身はこんなに原因があるのかとショックでこの先どんどん自分を追い込んだ治療をしてしまうのです。唯一、アンチミューラリアンホルモン(AMH)だけは年齢よりも若かったのでホッとしました。

病院にもよるのでしょうが、私の通っていた病院は物凄い薬の量で移植後は袋を二つに分けるぐらいでした。

顕微授精前の採卵について

採卵と移植に向けて治療を開始します。ロング法で点鼻薬を使用しながらたくさんの卵子を取る事になりました。それに合わせて卵胞を育てる為に筋肉注射も連日通います。お尻に打ちますが痛みもそれなりにありました。

ちょうど連休にかぶってしまったせいで、その期間は自己注射をするように指示があったのです。とても注射が苦手なので、練習をしたのですが嫌な汗は滲むし針の太さと長さには恐怖しかありませんでした。

液体の瓶から中を抜き、別のアンプルへ入れ溶かしたものを注射します。針を変え薬剤を注射器に吸い込ませるのも大変ですし、緊張して打つ場所を強くつまみすぎて針がなかなか刺さらないしとても苦痛でした。痛いのは入った直後でその後は全部針を入れてもそんなに痛くなかったのが不思議です。でも薬が入る時はやっぱり痛みました。

ですがやっぱり怖くて耐えられなくなり、夫にも協力してもらいながら頑張りました。ここまで書くと恐怖ばかりが強いですが、この先まだまだ筋肉注射もそして皮下注射も打つ事になるのですが怖さは残りますが慣れます。

なんとか卵胞も育ちようやく採卵へ。カーテンでは仕切られていますが他にも数名の人がいるリカバリールームで待機。準備が来て採卵を開始する事になり名前等を聞かれたあと麻酔をかけて始まりました。あらかじめつけられた点滴に薬が入ると腕が熱くなり意識は朦朧としていきます。目を開ける事は出来ないけど意識はあり、痛みは有り、痛くてうめき声がでました。麻酔が効きにくい体質なのて余計に痛みました。他の病院によっては痛くない人もいるみたいですが。

終わるとベッドまで移されだんたんと意識が戻ってきます。そのままリカバリールームで休み、排尿したら看護師に伝えて終わりです。採卵の影響で出血もあり、麻酔の影響なのか尿意まで時間がかかりました。卵巣過剰刺激症候群(OHSS)の影響でその後しばらくお腹が張る痛みが数日続きました。

そしてやっと移植をする事になりました。採れた卵は15個、うち12個受精して半分は胚盤胞になります。融解後成長が止まってしまったものもありましたが、比較的多く採れたので治療は全て2段階移植をしました。

移植と初めての流産

移植はバイアスピリンがメインの治療になりその他にも免疫を抑制する薬やプラセンタその他本当にたくさんの薬が出ました。移植は2段階なので、初期胚を移植して数日後に胚盤胞を移植するのですが良い位置に移植する為、膀胱に尿を貯める指示が出ました。これがなかなか辛かったです。

混んでいる病院だったのでスムーズに進みません。その状態で待たされるのが本当に苦痛でした。処置は特に痛みはなく、移植の様子をモニターで見られるのがとても不思議でした。

判定日までは安静にして過ごす指示がでました。それこそ食事とトイレ以外は大人しくして欲しいと。ですがそれは現実的ではなく、夫は仕事もしながら家事も出来ないし得意ではない人なのでどうしても私がやらなくてはいけません。すごく神経質になっていてお互いにイライラしていた様に思います。

判定日まではそれなりに日数もあるのでどうしても外出しなくてはならなくなりました。買い物へ行く途中お腹が張るように痛みました。それが原因なのかは分かりませんが判定日少し前に出血してしまいます。慌てて病院に電話すると飲んでる薬で生理が来る事はないから着床出血の可能性があるので、判定日までは安静にと指示がありました。

そして判定日。私は妊娠をしていました。まだ4週でしたがとても嬉しくて思ったよりもすぐ妊娠できたと思っていました。だけど7週になっても心拍は確認できず連休明けに再び病院へ行ったのですが心拍を確認する事は出来ませんでした。

今後の為にもきちんと子宮を綺麗にして治療する為に手術する事にしました。せっかく宿った赤ちゃんを手術するのはとても悲しくて自然排出を望んだのですが、排出の際に大出血や感染症になる場合もあり危険だからと掻爬手術を勧められました。掻爬手術の際に子宮頸管を広げるラミセルという棒状の物を数本入れるのですがこれが痛くて途中痛み止めの点滴を追加しました。

この場合加入している生命保険によっては保証があるので適応されます。電話をして手続きしたのですが、内容を話すのかとても辛かったです。この時の手術で遺伝子の検査をした方が良いだろうと言われ受けたのですが、染色体は異常なし。女の子だったようです。料金は7万円位、とても高かったです。

その後ニ度生理が来たら治療を再開しました。

顕微授精に5回挑戦!2回目の妊娠をするも…

二回目も同じくバイアスピリンを使った治療です。前回と同じように移植をしてまた判定日までは安静で過ごす指示を受けたのですが、難しいと相談をすると実母に来てもらいなさいと言われ今回は来てもらう事にしました。お陰で穏やかに過ごしました。

判定日当日、診察室に入ると妊娠の反応はあるがHCGがとても低いと告げられます。恐らく着床はしたけど継続出来なかった、化学流産の可能性であろうと告げられました。ただ今後上がる可能性も否定は出来ないのでまた来週確認の予約を取り帰宅しました。

あんなに安静にしていたのにどうして?という悔しさと妊娠する事の難しさを改めて痛感したのです。実母からは結果を探るような連絡が毎日来て私の心に重く響きました。それ以降の治療はもう誰にも詳細は話さずただ懸命に夫婦で続ける事になります。そして再度確認する為、病院へ向かいましたがやはり化学流産の判定になりました。

薬をやめて数日で生理がくるだろうと言われその通り生理はやってきました。以前からある子宮内のポリープも不安要素だったのでその後に子宮鏡下手術で摘出しました。こちらもラミセルを使用するので辛かったですが、少しでも妊娠はの不安要素を解消できて嬉しかったです。

それから3、4回目の移植をしましたがどちらも判定は陰性。そして融解した受精卵の成長が止まったものが2個あり、4回目の移植からは同じく2段階に分けるのですがその内のそれぞれ1回目を子宮内膜をスクラッチングしてからの移植になりました。少しでも着床率を上げたくて必死だったのです。あえて内膜に傷をつけることによって着床しやすくなるという説明でした。HCGの筋肉注射もアスピリンと合わせて自己注射で打つほどでした。毎回の判定日まで注射針を入れたペットボトルはいっぱいでした。

そして5回目の移植へ。採卵した分はそれで終わりでした。この時私は治療の継続を考える事はできませんでした。肉体的にも金銭的にも負担が大きかったからです。そして不妊治療を始めてからピルの影響なのか安静のせいかわかりませんが、開始した頃よりも10キロ体重も増えていました。痩せ過ぎはよくないと聞きましたが明らかに肥満でした。どうする事も出来ずただ移植を繰り返す日々だったのです。

そして迎えた判定日、私はまた妊娠する事ができました。しかも今回は心拍も確認できたので本当に嬉しかったし安心しました。だけど私はよく言われる9週の壁を越える事は出来ませんでした。一度見えていた心拍は次の検診で消えてしまったのです。

本当に幸せの絶頂から突き落とされた気分でした。2回目流産する確率は高い方ではないのに…悲しみでいっぱいでした。掻爬手術をして意識があまりない状態でも涙があふれてきました。自宅に着くと悲しみを堪えきれずただ声を上げて泣きました。夫は泣くでもなくただ私の側にいました。きっとどうしたら良いのか分からず私のように実感も無かったのだと思います。

採卵から治療を再開~3回目の流産

それから落ち着いた頃二人で話し合いをしました。私としてはまた妊娠できたのだから次こそはと期待してしまう気持ちがある事。だからあと1回だけ採卵をしたい。夫も同意してくれました。ただもう金銭的には長く続けるのは難しくなってくるので、どこまで治療を続けるのかはその度に相談する事にしました。

また採卵からの治療を再開しました。前回同様強めの刺激をして採卵。しかし、採れた数は5個で前回よりも落ちました。なかなか卵胞が育たず、連日通い筋肉注射などもしましたが結果には結びつかなかった様です。胚盤胞を2つ培養してもらい1つは成長がとまりました、残りは初期の受精の段階で凍結した様です。

移植は今までと変わらず胚盤胞を含めた2段階移植。判定日までは程々に過ごし、当日を迎え病院へ。結果はなんとまた妊娠することができました。嬉しさと不安が入り混じりましたが、次こそ継続してくれるだろうと期待もしていました。

次の検診では心拍も確認できたのですが先生の言う場所とは別の場所にも動きがあり尋ねてみると、どうやら双子だと判明しました。産まれてからの大変さは相当だろうと思うと同時に、その前2回の子供が戻ってきてくれたような気がして嬉しい気持ちの方が勝りました。先生は来週問題なければ卒業かなと話したのですが、心拍確認後も流産した経験もあるので不安を伝えた所、ではもう少し様子を見ようとなりました。

帰って夫に報告をすると喜んでくれましたが、双子だと言うことにびっくりしていました。どんな育児になるのか大変なのかな…などと二人で話しました。だけど心の中では流産した恐怖がいつまでも私の中にあり、次そこは!と思ってもでもまた繰り返したら…とそんな気持ちがいつも自分の中でグルグルとしていました。今思えばそれは相当なストレスだったと思います。

当日病院に行けば長い待ち時間の間、緊張から動悸は激しく嫌な汗が滲みます。そしてその不安は的中してしまうのです。エコーを見ていた先生から赤ちゃん動いてないねと。またも天国から地獄の底に突き落とされた気分です。やれるだけやって毎日の注射やできる限りは頑張ってきたのに、何がいけないのか?私のお腹に赤ちゃんが来てくれても死なせてしまうだけじゃないのかと辛いだけで絶望しました。ただ静かに流れてくる涙を拭く事しかできませんでした。

先生の元に戻り話を聞くと、3回続けて流産する確率は0.8%ぐらいで別に何か原因があるだろう。この病院でも一通りの検査はしているから同じような検査になるが、不育症専門の病院へ行って検査を勧められました。そしてその結果を踏まえて治療を再開しましょうと。

先に結果は伝えていたのですが、家に着き夫を目の前にすると涙と嗚咽が止まりませんでした。この時私には言いませんでしたが夫も泣いていたと聞きました。そして不育症の話をすると、何故2回目の流産の時にこの話にならなかったのかと疑問に思ったようです。

確かに回数をこなせば、いつか妊娠するかもしれません。だけどそれにはたくさんのお金や時間もかかるし特に女性は肉体的精神的にもギリギリです。

不育症の専門病院で原因を探ることに

ひとまず何が原因なのかを知りたくて予約をとりました。有名な病院と言うこともあり、初診は2ヶ月先でした。春に予約して診てもらうのは夏。せっかくなのでジム通いを始め通っていた鍼灸院も回数を増やして体質改善に励みました。

夫は私が治療を始めてから酵素ドリンクを手作りしたり、その為の資格を取得していました。どうせなら徹底的にやろうと思い、酵素ドリンクを使った断食のファスティングを3日間。まだ出来そうだったので秋になる数ヶ月後さらに7日間。体重はほぼ治療開始前に戻りました。

ついでに不妊治療にも有効と言われる毛髪ミネラル検査もやりました。毛髪ミネラル検査では有蓋金属製などは基準内、必須ミネラルはマグネシウム、カルシウム、マンガン、亜鉛が不足していたので、改めて意識するようにしました。あとは食事の見直しでタンパク質を意識して早めにしっかり寝る。

そして歯の治療も。私はアマルガムと言う水銀の含まれた詰め物をしていて以前に歯科医から今はもう使用していないものであまり良くないものだから取って詰め替えた方が良いと勧められていました。時間はかかりましたがら全て取り、取った歯の下はそれまでわからなかった虫歯があり治療もしました。詰め込んで色々とやりましたがストレスフリーの毎日でした。

そして夏になり夫と共に不育症の病院へ。静かな院内で予約制と言うこともあり落ち着いた雰囲気が心を落ち着けてくれました。当然待ち時間も短くスムーズで、しばらくして先生に呼ばれました。軽く話をしてエコー検査へ。子宮の形や血流に問題なし心配だった子宮筋腫も妊娠には影響なし。

そして夫が来て詳しく話す事に。今までの検査結果を持ってたので見てもらいながら引っかかった項目や治療方法、妊娠の有無も話しました。すると先生がはっきりとした原因を確信していないのに初期からのヘパリンはむしろ着床を邪魔をする。そして薬が多すぎる。薬は必要なものだけでいいのにあれもこれも出して治療しているとありがたいと思うのはどうなのか…。この治療を続けたら貴方の身体は将来骨粗鬆症になってしまうよと。

私は妊娠することだけに必死でもしも妊娠できてその先を考えていない事に気がつきました。もっと身体を大事にしないといけないのに。

夫も色々と聞いてくれて先生はタブレットで海外からの論文など色々なエビデンスがある事を教えてくれました。でも英語なのでわかりませんでしたが…。高プロラクチン血症やNK細胞活性もあまり原因としては重く捉えていない感じでした。

そして1回目流産での染色体の検査が異常なしで女性であった事についても母体の細胞を診たかもしれない、その検査をするなら双子の妊娠の時にした方が良かったと思うと言われました。高かったのにちょっとショックでした。ひとまず一通りの検査をしましょうと話があり、以前のクリニックの検査で省けるのものもあるけど必要なものは重複して検査しました。

その中に夫婦の染色体異常の検査もありましたが、これは引っかかっても治療方法がないのでその時は見送りました。省いた検査もあったので金額は10万円ぐらいだったと思います。

不育症の原因が判明するも、治療はお休みすることに

その後検査結果に確認しに再度病院へ。やはり血液凝固関連の項目で擬陽性がでました。バイアスピリンの服用を提案されました。数値としては本当に少し引っかかっているぐらいの様で、あとの項目は問題ありませんでした。

あとは何か気になる点はあるか尋ねた所、強いて言えば甲状腺(TSH)の数値が基準値内の3.8だけど妊娠希望なら2.5以下が望ましいので専門の病院を勧められました。この数値であれば薬を服用すればすぐですよと看護師さんからも言われました。

あとは詳しくアスピリンとユベラの飲み方の説明を受けて終わりでした。今までとは違い、本当にシンプルな処方に驚きました。そして何より詳しい専門の病院で検査した事にホッとしました。甲状腺の病院も後日訪ね、詳しい検査をした後チラージンを服用に本当にすぐ数値は2.5以下になりました。

けれど気持ちはすぐに不妊治療を再開とは思えませんでした。3回目の流産をした時に今まで何とか頑張って続けていた気持ちがポッキリ折れてしまいました。またストレスだらけの治療になってしまう気がしました。治療を休んだら妊娠できた人もいるんだよと聞きましたが、治療中にそんな事は考えられず1周期足りとも無駄にしたくありませんでした。年齢も高いし焦りばかりが募っていたからです。私の場合は休むというよりもう治療する気力が無くなってしまいました。

治療をやめた後に自然妊娠!

夫とも話しせめて年内は治療再開せず、排卵検査薬を使用してタイミングだけはとってみようとなりました。いざ排卵検査薬を使用してみると私は生理日から予測する排卵日よりも割と早い事が分かりました。それまでは夫ともタイミングで険悪になる場合もありましたが、不妊治療してからは協力的になり嬉しかったです。

その結果なんと1回目のタイミングで妊娠する事が出来ました。流産のトラウマはなかなか消える事がなく安定期に入るまで不安もあり、血圧は緊張からいつも高めでした。多少のトラブルもありましたが40歳目前で元気な第一子が生まれました。

どんな薬を使っても治療しても出産までたどり着けなかったのは、ストレスも大きな原因だったのではないかと思いました。ぐっすり眠れない日も多く緊張から血流もとても悪かったのではないかと。心が折れた時もありましたが諦めないでよかったと思いました。

そして今第二子が安定期に入りました。40歳過ぎての出産ですが元気な子が生まれる様に祈る日々です。私の体験が誰かの参考になれば嬉しいです。長い体験談になりましたがお読みいただきありがとうございました。

ももちゃん
みなさまの妊活がうまくいくことをお祈りしております。

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