今回は30代で妊活を開始された方の体験談をご紹介いたします。
妊活の期間は約4年、人工授精を10回に流産も経験されています。
しかし、相性の問題から転院を決意し、地元の専門院で体外授精を行ったところ、無事に妊娠されたそうです。
ぜひ最後までお読みください。
プロフィール
名前:Hiromiさん(仮称)
妊活時の年齢:30代前半
妊活期間:約4年
不妊の要因:多嚢胞性卵巣症候群
不妊治療:人工授精、体外受精
治療費:約70万円(助成金が15万円程度)
不妊治療を始めたきっかけ
私は30歳の時に結婚しました。夫は当時37歳。交際期間が短かったので、1年ほどは2人での生活を楽しもうと思い、特に妊活も避妊もしていませんでした。
私は、初潮の頃から生理周期が不順でした。1ヶ月で来ることもあれば、2ヶ月あくこともザラで、いつ生理がき来るか分からない状態でした。
独身の頃一度婦人科に行きましたが、今すぐ妊娠を考えてないのなら問題ないとのことで、特に気にしていませんでした。その頃の私は、避妊しなければそのうち子供ができると思っていました。
結婚して1年ほど経ち子供を作ろうかということになりましたが、その頃夫婦共に忙しくなかなか子作りのタイミングが持てず、しかも私は排卵日近辺に夫婦生活をもたないといけないことすら知りませんでした。これでは妊娠できるわけもなく…
ちょうどその頃、生理が3ヶ月ほど止まってしまい、産婦人科を受診。そこで妊活についても先生に伺うことにしました。すると「まずは基礎体温をつけましょう」と、グラフを渡されました。基礎体温?なにそれ?
そこから婦人体温計を買い、まずは周期を知ることから始まりました。
タイミング法から人工授精へ
基礎体温をしばらくつけていましたが、ネットで見ると普通の人は高温期と低温期にきちんと分かれるよう。しかし私のグラフはガタガタ。これでは全く排卵日がわかりません。
エコー検査してもらうと、普通なら1ヶ月に1つ大きくなる卵胞が、私のは小さいのがいくつもできてなかなか排卵しない、多嚢胞性卵巣だと言われました。やはり生理不順には理由があったのです。
これではタイミングも取れないので、クロミッドという排卵誘発剤を飲むことになりました。
受診してエコーで卵胞の育ちを見て、タイミングを取る日を先生から指示をもらうというやり方です。
2人とも働いていたので、仕事終わりの夜に子作りをするのはなかなか体力的にきつく、気分も乗らず…
夫から今日疲れたから明日にしない?と言われ大げんかしたこともありました。
タイミング法は精神的にきつかったです。
数回やりましたが、妊娠には至らず、先生から夫の精子検査をした方が良いと言われました。
幸い夫は協力的で、一緒に産婦人科に出向いてくれ精子検査を受けてくれました。
結果は、自然妊娠ができないわけではないが、数も少なめで運動率もあまり良くないとのこと。
先生の勧めで、人工授精にトライすることになりました。
この頃から、私は本当に妊娠できるのだろうか、と不安が大きくなってきました。ちょうど友人たちが続々と妊娠していたので、焦り始めていました。
人工授精、流産、そしてステップアップへ
いざ人工授精の日。夫には自宅で精子を採取してきてもらい、産婦人科で待ってる私が受け取り、病院へ手渡しました。そこで洗浄され、膣内に注入するのです。
人工授精自体は痛みもほとんどなく、あっという間に終わりました。
費用は1回1万円ほどでした。果たしてうまくいくのか、ドキドキしながら毎日過ごしました。
その後生理予定日になっても生理が来ず、もしやと思い妊娠検査薬を試すとうっすら陽性のラインが…
病院に行くと「おめでとうございます」と言われました。一度目の人工授精で妊娠したのです。
しかし、この時期に見えるはずの胎嚢が小さく、また検査薬のラインも薄かったので、ちゃんと育ってくれるのか不安になりました。
それからはネットで検索魔に。どれを見ても、私の胎嚢は小さすぎました。
2週間ほど後だったでしょうか、再度受診しましたが、やはり胎嚢は小さいまま。この時期に見えるはずの胎芽も見えず、先生から稽留流産と告げられました。
一泊入院で、麻酔をして掻き出す手術をしなければならないので、来院できる日を教えてくださいと。
天国から地獄へ突き落とされた気分でした。
泣きながら夫へ電話をし、休みをとってもらい付き添いの元、掻爬手術を受けました。
手術は麻酔をしたので記憶にはありませんが、終わった後、小さい白い箱に入れてきてくれ、泣きながらお別れをしました。
流産は珍しい事ではないと知っていましたが、こんなにも辛いとは思いませんでした。
しばらく、ふとした時に涙が出てくることが続きました。
しかもちょうどこの頃、私の職場の先輩が妊娠していて、どんどん大きくなる彼女のおなかを見るのが本当に辛かったです。
なんで私は流産してしまったのか…なんで私は妊娠できないのか…
そんなことばかりを考えては落ち込む毎日でした。
流産したものの、一度目で妊娠に至ったのだから、何度かチャレンジしたらまた妊娠できるはず。気を取り直して、再度人工授精にトライしましたが、今度は何度やっても全く妊娠せず。
結局10回ほど人工授精しましたが、一度も妊娠には至りませんでした。
先生からは5回くらいやって妊娠しなければ、繰り返しても可能性は低いと言われていたので、人工授精はここで断念することに決めました。
その頃日々ネットで不妊治療について調べていた私。違う市に不妊治療専門の有名なクリニックがあることを知り、思い切って転院を決めました。
通院のため仕事も辞め、不妊治療に専念することにしたのです。
妊活を始めてから3年ほどの月日が経っていました。
転院、体外受精、そして妊娠
そのクリニックは私の実家のある市にあり、自宅からは列車で1時間半ほどの距離でした。
以前の病院は普通の産婦人科で、妊婦さんや赤ちゃんに遭遇するのが地味にきつかったのですが、ここは不妊治療専門クリニックだったのでそれがありませんでした。
とても混んでいて、同じ仲間がたくさんいるんだ、と心強くなりました。
まずは徹底的に検査をし、不妊の原因を特定することから始まりました。
やはり多嚢胞と、夫の精子初見の悪さが原因ではないかとのこと。
人工授精は10回失敗しているので、やはり体外受精が良いと思うとの診断でした。
それから夫と体外受精の説明会に出て、治療内容や費用などの説明を受け、いよいよ体外受精に向けての本格的な治療が始まりました。
体外受精は、卵子と精子をその名の通り体外で受精させる方法です。なので私の卵子を取り出さなくてはなりません。それが採卵です。
採卵のために、薬を飲み自己注射を打ち、たくさんの卵胞を育て、それから卵子を採取します。
自己注射など初めてだったのですごく大変でした。自分で自分に注射なんて怖すぎる!と思いましたが、幸いお腹の脂肪が多めだったのか痛みもほとんどなく、すぐに慣れました。
私は多嚢胞だったので幸い一度で16個ほどの卵子を採取できました。
採卵は麻酔をして行ったので記憶にありませんが、終わった後下腹部がズーンと重かったのを覚えています。
そして数日後、受精の結果がメールで届きました。16個のうち9個受精してくれました。
また薬を飲み内膜を育て、ついに受精卵を子宮に戻す日がやってきました。
これは人工授精と同じような感じで、ものの数分で痛みもなく終わりました。
そして約2週間後の受診。血液検査で結果がわかり、陽性との診断でした。
まさか一度目で妊娠できるとは思わず、喜びと共に驚きました。
そして無事に、不妊クリニックも卒業し、出産に至りました。
おわりに
不妊治療は体力的、経済的、特に精神的に苦しいものでした。費用も、トータルでは70〜80万ほどかかったと思います。
今はネット上で様々な情報が得られます。そこで同じ仲間と悩みを共有しながら治療できたことが大きな支えとなりました。
悩み苦しんだ妊活でしたが、産まれてきた我が子を見ると、頑張って良かったと心から思えます。